今月の同じお題「不合格」その4

広島ブログ
⑦パパさん主催の今月の同じお題は「不合格」です。
「合格」ではなく、「不合格」です。

「合格」は脚光や賞賛を浴びますが、通常「不合格」は「合格」のように取り上げられることもありません。
しかし「不合格」の方がドラマがあります。

私の場合「不合格」が多すぎて、5部作になってしまいました。
(やりすぎという話もありますが、これらすべての「不合格」が今の私を作っているので、「不合格」に敬意を表して(感謝を込めて?)書いてみます)
もはや受験関連の回顧録になっていますが、これは第4作目です。
大学受験の現役の「不合格」の続きです。

1浪の生活

誰も友達のいないところで始まった1浪の生活。
予備校では高校の勉強の教え方とは違う教え方が新鮮でした。
特に苦手だった物理の本質らしきものに触れることが出来て、理解が深まりました。一番の苦手科目だったのですが、予備校の物理の先生の説明がわかりやすく、成績が伸びました。物理法則が発見された手順の解説が特に面白かったです。驚くべきことに現役、一浪目、二浪目通して模擬試験の順位・偏差値が良かったのは物理になりました(物理は大の苦手で嫌いだったので、高校三年生の時、まさかの赤点で再試験を受けたたのは内緒です。あっここにも危うく「不合格」があった…)。この先生に教えてもらったおかけで人に教えることも出来るだけの理解が深まりました。また今の我が家の趣味の一つは各地の科学館巡りですが、科学館によってはこの時教えてもらったような物理の法則の解説、発見の経緯の解説があるので面白いです。

もう一つ予備校で良かった教科は地理でした。地理は暗記科目だと思っていましたが、最低限の知識を利用した考える科目だと教えてもらえました。地理の問題の解き方を教えてもらいました。というよりも、問題の作り方の視点から授業してもらえたので、解き方がよく分かり大変ためになりました。一浪のセンター試験で効果が出るはずが…、勉強の仕方が悪かったのか大した点はとれませんでしたが、二浪目で大幅に点が取れたのは一浪目の地理の授業のおかげでした。一浪目で二浪目の点が取れていたら人生違っていたかもしれません…。二浪目でセンター試験の点数が上がった唯一の教科です。

予備校の落とし穴

広島YMCA予備校での浪人生活でしたが、場所がいけません。広島の方はご存知かもしれませんが、八丁堀といあ広島のど真ん中と言って良い場所に予備校があって誘惑が多いんです。
ゲームセンターやボーリング場、パチンコ屋さんがありますし・・・。

色々あって浪人生活を送りましたが、今思い返しても楽しい生活でした。

これも現役の「不合格」がなければ経験できなかったことなので、面白いものです。

予備校にいっていなければ知り合うことのなかった何人かの人たちと、今でも連絡を取っているのも面白いところです。

大学受験での「不合格」1浪編

前置きが長くなりましたが、ここからが「不合格」の話です。

大学受験で一浪の時、センター試験で9割ごえのまさかの成功をしてしいます。(してしまいますと書くのは、9割ごえの点数で自分の実力を過信してしまい、判断を間違えるからです…)
ここで勘違いが起こります・・・。平均点が下がったのに、現役の時より24点上がったのです。
自分はできると勘違いしてしまいました。病気ではありませんが、事情があって途中、大して勉強できなかった時期があったのに・・・。
やめとけばいいのに岡山大学と広島大学の後期を受けます。今考えれば馬鹿らしい考え方ですが、当時の自分は出来るだけ偏差値の良い大学に入学したいと考えていました。
広島大学の後期はセンター試験と面接だけです。平均点が下がっているので受かると誤解してしまいました・・・。
予備校のリサーチでは予備校ごとに判断は割れていましたが、一番甘いものでは私の点はボーダーをこえていました。
平均が下がっていることもあり強気な私は広大の後期を受けることに決めてしまいます。様々な人生経験を積んだ今なら、万が一の可能性を考えて余裕を持って安全策を取りますが当時は一言で言えば身の程知らずでした。
前年度より平均点が下がった中で、前年度の合格最低点を8点上回っていたことも強気になった理由です。みんな下がったと誤解したのです。後期に受かったつもりで前期試験を軽く考えてしまったことが大誤算です。

岡山大学も過去問を見ると何とか解けそうです。
で、結局受けてみると、数学全滅。一問すら完答できませんでした。岡山大学から岡山駅までのバスの中で放心状態で帰ったことを思い出します。
まぁ落ちますよね。当然の「不合格」です。結果的に記念受験になってしまいました。

ただ広大の後期があるので医学部には入ることが出来ると漠然と思っていました。
面接はまぁ大過なく過ぎました。
落ちるなんて夢にも思いません。喜び勇んで合格発表を見にいくと・・・。

番号がありません・・・。
落ちました。「不合格」です。

後でわかることですが、前年度の合格最低点の低さから広大の後期が穴場だと噂になったようです。
結局センター試験でとれた医学部希望者が殺到したため、受験者全体の平均は下がっても医学部志望者の中では上がってしまいました。というかセンター試験とれた人が穴場だということで全国から殺到した結果でした。前年度より24点ほど合格最低点が上がったようです。これも後でわかることですが、前年度はセンター試験初年度でみんなが恐る恐る出願したためか、極端に合格最低点が低くなっていたようです。
私の点は惜しくも何ともない、身の程知らずでした・・・。

後で冷静に考えれば、安全策をとれば二浪はなかったのですが・・・。
何しろ致命的なのは後期とA日程がダブル「合格」できることを知りませんでした・・・。
完全に情報収集が不足していたのと・・・。センター試験が取れたことで舞い上がって強気すぎましたね・・・。
この「不合格」も運命だったのだと思います。
何故ならA日程と後期のダブル「合格」を知っていればA日程の大学と広大後期を受験していたと思いますし、そうなればA日程の大学に進学していたと思いますし・・・。センター試験の成功が自分の実力を過信させてしまい、情報収集を怠り、結果として惨敗してしまいました。正にセンター試験をとってしまった…。

この「不合格」がなければ呉にいることはなかったような気がするので、私の人生において意味のある「不合格」なのですが・・・。当時は呆然といていたのを思い出します。当時は受ける大学をもっと考えれば良かったと激しく後悔しました。

滑り止めのつもりが「不合格」

実は早稲田の理工学部、慶応の法学部も受けていたりしています。
早稲田の理工学部も「不合格」、慶応の法学部も「不合格」でした。
実は医学部を目指しながらも工学部に進学することも興味がありました。工学部を卒業して医学部に進学出来たらなと思ったこともありました。そのため欧米の医学部のように別の学部を卒業してから医学部に進学するのがうらやましかったりしました。
実際には早稲田大学の理工学部は「不合格」だったので、進学するか悩むなんて夢と消えました(余談になりますが、受験のために従兄弟の家に泊めてもらった際、隣の家が朝方火事になってしまいました・・・。窓が炎で真っ赤に見えました。火事の家から家財道具を運び出すお手伝いをしました。貴重な体験でした。)。今考えても早稲田大学の理工学部の「不合格」ですからセンター試験がまぐれだったことがわかります…。
慶応の法学部はセンター受験が出来たので受けてみました。実は弁護士さんになることも憧れていました。法律にも興味があったので、センター試験で受験(出願)できることもあり受験してました。結果は「不合格」。10点足りませんでした。
受験科目が英語・数学、国語・社会で満点の理科がなかったのが惜しかったです。ここで受かっていたら進学していたと思うので、この「不合格」も運命だったと思います。自分の能力を客観的に考えて弁護士さんにはなれなかったと思いますが。というよりも慶応の法学部を卒業できたかも怪しいです。正直「不合格」でよかったです。

「不合格」の『意味』

こう考えると「不合格」だらけですね。でも今振り返るとこれらの「不合格」が今の私を作り上げているので面白いです。

特に一浪目の「不合格」は私が下した決断の結果なのですが、私の人生の中において大きな大きな意味があります。何故なら当時は後悔したあの判断ミスがなければ、恐らく二浪することもなく三重大に進学することはありませんでしたし、家内とも出会うことはありませんでした。ということは子供達も…。そう考えるとこの運命の悪戯のような(愚かな私の決断の結果ですが…)「不合格」も、今の自分に導いてくれた立役者だと思います。

一つ「合格」

一浪目の受験では一つ合格をもらっていました。ある大学の工学部です。

実はここに入学することにしましたが、やはり医学部進学の夢は捨てきれず、入学式の日に休学届を出して二浪することにしました。実際に通学して単位を取得することも考えましたが、現実問題として単位を取りながら受験勉強は難しそうなので断念しました。(ふと思い出した話ですが、大学時代ある同級生が一年生の時に単位を取りながら受験勉強し、京都大学に合格したので驚きました。今考えれば教授とかを狙っていたのかもしれませんね。)

ズルい考えかもしれませんが、二浪目で医学部に入ることが出来なかった場合に備えての進学先を、探さなくても良いとも考えました。当時工学部に合格したものの、やはり医学部に行きたかった私は工学部には入学しないでおこうかとも思いましたが、親に諭されて入学を決めました。医学部に入らなかった場合の進学先の話は親に諭された時に出た話です。余り人の言うことを聞かない子でしたが、この時ばかりは親の言うことを聞きました。

それにしても…。「不合格」の多い人生ですね。

不合格合格求め旅重ね

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不合格は合格を求める旅のようなもので、不合格で諦めるとそこで終わってしまいます。チャレンジを続けることをあちこち受験に行くこともあり、旅に例えてみました。

あと合格も575に入れたかったので無理矢理入れてみました。

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