今月の同じお題「不合格」その5

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⑦パパさん主催の今月の同じお題は「不合格」です。
「合格」ではなく、「不合格」です。

「合格」は脚光や賞賛を浴びますが、通常「不合格」は「合格」のように取り上げられることもありません。
しかし「不合格」の方がドラマがあります。

私の場合「不合格」が多すぎて、5部作になってしまいました。
(まぁやりすぎという話もありますが、これらすべての「不合格」が今の私を作っているので、「不合格」に敬意を表して(感謝を込めて?)書いてみます)
これは第5作目です。
これは大学受験の1浪の「不合格」の続きです。

二浪目の生活

まさかの二浪目、他の予備校にうつることも検討しましたが費用の問題もあって広島YMCA予備校で行うことになりました。
1浪目で十分勉強をした(つもりでしたが、今考えればかなり甘かったと思います)ので、授業には出ないことにしました。テキストもあまり変わらず、先生も同じだったからです(今考えれば復習として授業を受けるべきでしたが・・・)。ではなぜ予備校に所属していたかというと、自習室の利用と勉強のわからない部分の質問、模擬試験を受けてその時の学力を確認することが目的でした。当時の予備校の担任の先生とはひと悶着ありましたが、何とか認めてもらってそのスタイルで生活を始めました。

何しろ1学期はバイト生活をしてフリーターをするつもりでいたので、今考えれば担任の先生から怒られても仕方がありません。
それにしても楽しい毎日でした。フリーターは今でいう派遣会社にアルバイトとして入っていました。毎朝8時から17時まで現場に入って、土木作業員、引っ越し、面白いところでは東広島のクリーンルームを備えた工場への機械の搬入、NTTの機械の搬入、電気屋さんの配達などに派遣されました。今でもアルバイトに行った会社のトラックを見ると懐かしく思います。土木作業員として働いたのは、主にマンションの工事の雑用をしていました。今でもそのマンションを通ると、思い出します。電気屋さんの配達のアルバイトをしていた時には正社員に誘ってもらったりもしました。というのもビデオやテレビの配線が出来たのでテレビを届けて、私が配線している間に社員の方が他の配達をされていたので多少役に立っていたようです。(実は家でテレビにゲームを繋いで遊んでいたので、テレビに映像をうつす仕組みを理解していました)。一時期指名までしてもらって毎日入らせてもらっていました。
大学生も楽しかったですが、この2浪の時のこの1学期が受験も遠く人生で一番楽しかった時期だといっても過言ではない気がします・・・。大学生の時はたくさん覚えないといけないことがありますが、この2浪目の勉強の内容は1浪目で一通り終わっているからです。

週5日バイトして、土日は休みにしてもらっていました。
土日には予備校に顔を出していました。
今考えれば友達を作りに予備校に顔を出していたような気がします。

7月からはフリーターをやめて、予備校に復帰しました。
そこからセンター試験9割5分を目指して勉強を始めたのですが・・・。

二浪目の受験

一浪目はセンター試験に成功したのに、戦略ミスからまさかの二浪目に突入してしまいました。
そうなると2浪目ではセンター試験9割五分を目指して受験に臨むことにしました。二浪もして点が落ちては意味がありません,
しかしこの心構えというか目標が大きな落とし穴でした・・・。
気負ってしまって、本番のセンター試験で緊張してしまったのです。
現役、一浪ともにセンター試験で緊張したことはありませんでした。多分取れればラッキーという気楽な気持ちで受けたからです。2浪までしたので9割五分取らないといけないという心境で受けたのが自分自身に無駄なプレッシャーをかけていました。800点満点で落とせる点数が50点です。数学、理科は落とすことはまずありませんが・・・。問題は国語と英語です。国語だけで50点ほど落としてしまいました。しかも英語もこれまで取ったことのない点数です。焦りから舞い上がってしまい、読み間違えてしまいました。大安寺れいめい塾塾長大西先生の国語の授業を受験生の間に聞くことが出来ていれば、国語で読み間違いをすることがなくなるので、もしかしたら私の運命は違っていたのかもしれません(ちなみに本家れいめい塾塾長はそうしたら国語の点が取れてしまうので三重県に来ていないからダメだなと言われましたが)。

まさかの2浪のセンター試験で急ブレーキ。3回のセンター試験の中で最低点でした。前年から40点以上落としてしまいました・・・。

二次試験で挽回するつもりで、広大を前期で受けることにしました。
センター試験9割5分とって後期でも余裕で受かる見込みが夢と消えました。

こうなると医学部に進学できるかどうかかなり怪しくなってきました。それまでは医学部には入れるだろうと漠然と考えていましたが、2浪目のセンター試験で失敗してから医者になれないかもしれないと本気で焦りました。真剣に受験生の心境になったのはこの時かもしれません。
二次試験で挽回して広大に受かるつもりですが、万が一に落ちてしまった場合に備えB日程の医学部をかなり真剣に探しました。この謙虚さが1浪目にあれば2浪はしていなかったような気がしますが、これも運命です。そんな中で見つけたのが結局進学することになる三重大学です。前年度予備校の先輩が進学されていた穴場の医学部です。なぜ穴場かといえば、センター試験の国語と英語の配点が半分になるからです。全教科100点という配点です。英語・国語、数学、理科、社会すべてが100点の500点満点です。なんと失敗した国語と英語が半分になり、成功している理科・社会はそのまま足されるのでボーダーを超えています。迷わず受けることにしました。

二浪目の「不合格」

広大の前期試験が終わった後に不安がよぎりました・・・。
数学の試験問題。名前を書いた覚えがない・・・。試験が終わった直後に気付き、友人と話しましたが、名前は書くだろう。長年受験生(同じ二浪の友人で、3回目の受験生という意味です)してるんだから名前を書き忘れることはないよと慰められました。まぁ書いたかな…と思いながら発表を待っていました。

当日の出来でいえば、ギリギリかなというものでした。
数学も物理もそこそこできました。英語と化学はできていました。
自己採点では五分五分かと思っていました。
結果「不合格」。縁がなかったようです。

「合格」最低点との差を20点刻みでA,B、C、D、Eと判定されたものが高校に届きます。
弟が同じ高校に在籍していたので確認してもらうと「合格」とはかけ離れた判定でした。全然駄目だったよと。呆れた様子で教えてくれました。
もしかしたら・・・。数学名前を書いていなかったから・・・・。なんて考えてしまいますが、真相は闇の中です。
(名前は書いていても、自己採点が甘すぎて当日の出来が悪すぎたのかもしれません・・・)

いずれにしても広大には付属中学、高校も含めて縁がなかったようです。

万が一に備えて受験を決めた、三重大学に拾ってもらうことになりました。

大学での進級について

面白いのは進級に関してです。おそらく広島大学に合格出来ていれば、広島大学は進級に関して厳しいため私は留年していたと思います。
今では三重大学も厳しくなっていますが、当時の三重大学はおおらかで、どうせ国試で選別されるのだから極力留年させず進級させるという方針でした。同級生の協力のおかげもあり、留年せずに進級できました。
広大に「合格」していれば何年留年していたかわからないので、本当に不思議な縁というか、運命を操る何者かの力を感じます。実際優秀だった高校の同級生が留年しています。

「不合格」のジンクス

実は私には「不合格」のジンクスがあります。試験の合格発表を見に行った試験はすべて落ちているということです。
自信があった試験でも落ちています・・・。
今考えれば自分に甘かったところもあるのですが・・・。
受かっていてもおかしくないと思っていた試験で落ちてしまっていました。
受かるかどうかわからないなと思った試験では通っていました・・・。

このジンクスにより、自己採点では余裕がありましたが、絶対落ちられないと思った私は医師国家試験の合格発表は見に行きませんでした。ジンクス通り見に行かなかったので受かっていました。

一句

桜散り別の花咲く人生や

志望校に合格することは望ましいことですが、別の進学先の方が自分には合っていることもあるようです。桜だけ(志望校だけ)が花ではないように、別の花(別の志望校以外の学校あるいは別の人生を歩むという意味)という思いを込めてよみました。

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