黒い雨訴訟について

黒い雨訴訟の上告を断念するということが発表されました(参考:「黒い雨」訴訟、国が上告せず 菅首相表明、住民勝訴確定へ
黒い雨とは原爆による放射能を含んだ雨のことで、原爆により発生した上昇気流により放射性物質を含む雲ができ、広範囲に雨がふったものです。放射性物質を含んだ雨が黒かったことから黒い雨と言われています。黒い雨が降ったということは放射能を含む雨を浴びてしまったということを意味しますが、黒い雨の降った範囲が問題で、黒い雨を浴びたにもかかわらず被爆者と認定されていない方が多数居られます。その方々が被爆者認定を求めて訴訟を起こしたというものです。原告勝訴の判決が出たのですが、裁判で争うために上告する可能性がありましたが、上告を断念したことから勝訴が確定しました。

私は直接被爆者から被爆当時の話を聞いた立場から、このことは嬉しく思います。何故なら黒い雨を浴びて放射能の恐怖と戦いながらも、被爆者とは認められなかった方々の心中を思うと、二重に苦しめられているように思うからです。現在裁判で争っている方々の年齢を考えると1日でも早く認定される方が望ましいと考えていたからです。

国としては被爆者の認定はできるだけ避けたいのもわかりますし、どこかで線引きをしなければいけないこともわかりますが、一定量以上の黒い雨を浴びた人だけでなく少しでも黒い雨を浴びていれば(黒い雨の降った地域に住んでいれば)全員被爆者に認定してほしいなと個人的には思います。何故なら少しでも黒い雨を浴びていれば放射能の影響は否定できないからです。

戦後76年経ってからの認定は遅いとは思いますが、認められて良かったと思います。
(選挙に向けた菅総理のパフォーマンスという噂もありますが、理由や目的が何にしろ上告を断念してもらえたのはよかったと思います)

私の父も今は亡き祖母も被爆者でした。父は当時4歳だったため原爆の記憶は全くないそうですが、私た小さい頃に祖母から聞いた原爆の話は壮絶なものでした。祖母は余りの恐怖で声が出なくなったそうです。
話は少し脱線しますが、以前ブログに書いた原爆の記事を転載します。(当時は小分けにしてブログを書いていましたので3回に分けて書いています)

原爆について 前編

皆さんご存知の通り、昭和20年8月6日8:15に世界で初めて原子爆弾が都市に落とされました。
爆心地は原爆ドームから少し離れた本川小学校の側だったと記憶しております。(原爆ドームが爆心地と勘違いされることが多いですが、実は少し離れているんです。原爆ドームが当時の時代の最先端を象徴する建物だったらしく、その象徴があの姿になってしまったということで残されたようです。)

このとき私の父は4才でした。
父はこの時の記憶はないそうです。(あまりの恐怖で記憶を封印してしまった可能性がありますが・・・。)
これは祖母から聞いた話です。
何かに守られたと思える話でした。

爆心地から2Km程度の自宅で被爆しましたが全くの無傷だったそうです。
父も、叔母も祖母も・・・。
やけども怪我も無いという奇跡に近い状況だったそうです。

私はその話を小学生のころ聞いて、感動した覚えがあります。
本当にその一瞬にどこでどんな格好でいたかで、運命が決まったようです。

原爆に関して 中編

原爆についての続きです。

奇跡的に難を逃れた我が家族の話です。
昭和20年8月6日の朝、通常ならば畑仕事に出ている祖母ですが、この朝は朝からお腹の調子が悪く、とても畑仕事になりそうにないため家にいたそうです。(こんなことはあまり無かったようですが、その日はたまたま調子が悪かったようです。)
(これが一つ目の奇跡でした。畑仕事に出ていれば熱線を受けたはずなので、無傷ということはありえませんでした。)

そんな状況の中、朝8時15分より少し前、祖母はお腹の調子が悪かったため、家の裏手のトイレに行きました。トイレから出て手を洗おうとした運命の瞬間、家の裏側(北側、爆心地の反対方向です。)の窓から凄まじい光が見えたそうです。
この時のことを私に
『シャーー、シャーー、シャーと光が降り注いだ!!!』と表現していました。
このときには何が起こっているのかわからなかったそうです。
(これが二つ目の奇跡です。家の裏手にいなければ、その瞬間に家の表側で何かしていれば熱線を浴びていたはずなのです。)

家の周りでは、山や畑あちこちで火の手が上がっていたそうです。
それだけ凄まじい熱だったようです。
この話を聞いた時、畑仕事をしていれば・・・。無傷はありえないよね。と強く思いました。

家の裏手のトイレにいたのに光が降り注いだのが見えたと言われ子供心に不思議に思っていましたが、大人になってふと気づきました。恐らく祖母が見たシャーシャーシャーっと降り注いだ光は、網膜を貫通した放射線なのではないかと思います。ちょうど霧箱のような原理で、網膜を放射線が通過した際に光として認識したのではないかと思います。

ちなみに霧箱とは下のようなもので、過飽和状態の水蒸気を満たした箱のことで、霧箱の中を通過した放射線により過飽和の水蒸気が凝集して湯気のように放射線の軌跡が見えるものです。これと似た状況が祖母の網膜で生じていたようです。
(何故なら光は直線しかしないので、降り注いだ光は本来見えるはずがないからです。逆に光を全て見るなら真っ白のはずで線のように見えるはずもないからです。そう考えると放射線が降り注いで網膜で感光したと考える方が自然です)

 

原爆に関して 後編

次に凄まじい爆風が来て家が揺れ、家の窓ガラスは全て割れ、家の中に吹き込みました。
(これが三つ目の奇跡でした。家の中にいるだけでガラスが突き刺さっていたはずなのです。本当にこのタイミングでの爆発は奇跡的でした。そうでなければ、家の中にいるだけで、祖母は少なくとも怪我をしていたはずなのです。それが家の裏手にいた瞬間だったので、全くの無傷でした。私はこの話を聞いた時に、先祖が守ってくれたのか?そのためにお腹の調子を悪くしたのか?と思ったほどでした。)

しばらく呆然とした後に、ふと我に返った祖母は、子供たち(私の父と叔母)は!!??
と周りを見回したそうです。
その瞬間子供たち(私の父と叔母)がトコトコっと歩いてきたそうです。
そうんなんです。全くの無傷で歩いてきたのです。
(これが四つ目の奇跡でした。父は全く覚えていないそうですが、父も家の表側や家の中で被爆していれば無傷はありえない状況でした。この瞬間家の外で遊んでいれば私はいなかったかも知れないのです。)
私の父と叔母を抱きしめた祖母にフーっと生暖かい風が吹いたそうです。
その後何日間か声が出なかったそうです。
(医学的に考えれば極度のストレスで失語症になったそうです。子供だった当時は無傷でも声を奪う程強烈な爆弾だったんだ・・・。と思いました。)

最後の奇跡は私の親戚は何人か広島市内にいたはずですが、みんな死ななかったのです。奇跡に感謝でした。

追伸:
毎年8月6日に平和記念公園で記念式典が開かれますが、その際20歳の成人が平和の鐘をつくのですが、その候補に実は選ばれました。しかし代々広島にいながら、誰も亡くなっていなかったので、辞退いたしました。(今考えれば出ればよかったなと思います。)

以上原爆についてでした。

原子爆弾被爆地域の拡大(黒い雨)について (厚生労働省 )によると父と祖母の被爆した己斐は黒い雨が降った地域のようです。
爆心地から近いこともあり父も祖母も早い段階で被爆者手帳を手にしていました。
原爆の話を祖母に聞いた時には黒い雨の話を知らなかったので、直接聞くことができませんでした。地域としては黒い雨が降ったはずなので、黒い雨として認識していたのか、ただ雨が降ったと認識しているのか。全く意識していなかったのか聞いてみたかったなと思います。

患者さんからお伺いした話 ~原爆について~

原爆に関して書くのでついでに患者さんからお伺いしてgooブログに書いた話を掲載しておきます。

ある80代の患者さんからお伺いした話です。
その患者さんはずっと呉に住んでおられるそうです。
そこで原爆の日の話をお伺いしてみました。
すると・・・。
その患者さんは役場にお勤めで、原爆のあった日に広島に行かれる用事があり、駅まで行かれたそうです。
そこで、『広島がやられた!汽車は動かん!』と言われたそうです。
仕方なく役場に帰られたそうですが、役場の誰もが信じてくれなかったそうです。
つまり患者さんが嘘をついているかのような扱いだったそうです。

その後しばらくして大惨事が伝わったそうです。
それだけ信じがたい出来事だったようです。
直後はすぐ近くの呉ですら状況がわからなかったようです。

そんな威力の爆弾があるなんて思いもしなかったでしょうからね(><)

黒い雨訴訟は原告は被爆者と認定されてよかったですね。(当然と言えば当然なのですが・・・。本来の状態になってよかったですねとすべきですね。)

1発の爆弾が何十年も人々を苦しめる・・・。
2度とあってはいけませんね。

 

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